Daichi is eccentric

2022/04/18

【過去記事】ずとまよずとまよ

ずとまよずとまよ
Vaundyずとまよずとまよの4日で3ライブを完走しました。
Vaundyのライブは、最前列だったので、50cm先にVaundyがいる最高でした。
ずとまよは、「昔もっとこうすればよかった」とか「正義ってなに?」について書かれることが多くてとても共感できます。
人間関係に馴染めない経験があるとどハマり。
今日は「0」について書きます。今回は個人の主観が強く入ります。何卒何卒です。

a.0が出現するまで

最初にゼロというものを定義したのは7世紀のインドの数学者・ブラーマグプタという人物です(多分)。
数学の歴史とかはあまり詳しくなく、宗教の歴史も関係してくるので、そこについて割愛させていただきます。
ざっくり、昔「0」がなかったということです。
0がなかった時は、10は「X」、901は9と1の間に0の代わりに楔形文字だったようです。
「ー」マイナスが発見されたのはもっと後らしいです。
文明が始まってから「0とー」が作られるまでに、長い年月がかかっています。
「0」を認める前は、「0」の代わりを見つけるとか、10進法を使わないようにしていました。
つまり0の結論を出すには時間がかかると。

b.歴史を参考する

最近は歴史について勉強するようにしています。
コロナウイルスの100年前にはスペイン風邪、200年前にはコレラと歴史は繰り返している。
他にも災害や経済体制の切り替えなど、歴史の転換期には周期があるように読み取ることができます。
多分、歴史的周期は存在していて、歴史は繰り返すようにできている。
個人の見解ですが、物事の事象にはある一定の確率が存在していて、時間と共に収束していくようになっているのだと考えています。
例えば、風邪を引く確率とか、明日大雨の降る確率は何%とか
しかし、確率には2パターンあって、操作できる人為的なものと操作できない自然的なものがあります。
前者の風邪を引く確率ですが、マスクをする、体調管理に気を付けるなどをすれば下がります。
後者の雨の降る確率は、基本的に下げることができず操作できないものです。(温暖化とか、気候を変えればいけるかも)
この2つには共通点があって、基礎の確率は存在していることです。
自然はどうにもならないとして、風邪はどうにかすることができるでしょう(ウイルスがいないところにいくとか)。
他者の影響(仕事が伸びたり、飲み会が続いたり)によって変動することを除いて、基礎的な確率はあるはずです。
例えば、冬に風邪を引く基礎の確率が20%だとしたら、対策したら10%になって、対策しなかったら20%、無理をしたら40%とか。
つまり、世の中は周期と確率によって動いていて、傾向をつかむことがいい方向に向くかもしれないというところです。
逆に、悪い傾向をつかむことが悪い方向に向かったりもする。

c.「0」つまり「ない」

「やりたいことは何ですか」、「お昼食べたいものある」の質問には、必ず答えが求められるような気がしています。
でも、答えがないこともあるかも。
本当にやりたいことがないとかお昼食べたくないとか。
最近は、無理やり決断することを諦めたりする。
よくやるのが、ランチ何が食べたいんだろうかな?と思ったときに食べたいものがないから食べない。
規則的な食生活に則って、何か食べた結果、気持ち悪くなることがあるので、これは食べるという選択肢が間違い。

結論

まとめると、
aは、「ない」という選択肢を認めるのには長い時間がかかった。
bは、世の中は確率と周期と動いていて、操作できる確率とそうでないものがある。
cは、答えが「ない」が正解かもしれない。
「0」という答えを認めるまでに時間がかかるけど、答えは「0」かもしれない。0という選択肢をつくることで、良い傾向に向かうかもしれない。
やりたい仕事はなにか?将来なにがしたいかと考えることがあると思いますが、思い切って「ない」と結論をだすと案外うまくいったりして。
何もやらないためには、どうすればいいかを考えて、行動することが正解だったりしますよね。

論文の練習でした。参考文献とかデータとか使えたらもっといいんですけどね。
最近睡眠不足がつづいているので、2時間くらいで作れる文章を。
アーティストって、やりたいことを実現し続けている憧れの職業です。
そんなふうに生きられたらいいな♪
何かあったらお話してください。何卒何卒です。

関根